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2011年12月27日火曜日

今、最も費用対効果の高い公共事業投資とは(新たなpppスキーム)

 公共事業投資の善悪論は、ここでは置いておいて
 今、私が考える費用対効果が高い公共事業投資を具体的に述べてみたい。

 それは、都市鉄道の複々線化および線形改良(急カーブの解消)である。(特に首都圏)
 首都圏に住んでいる人なら分かると思うが、通常は、都心まで30分程度の所要時間が、朝ラッシュ時においては、倍近くの時間が掛かっている現状がある。

 ちなみに首都圏の鉄道の利用人口は、合計50,707千人/日、その内、定期券利用は4000万人/日弱(h12年 少し古い)

 通常時と朝ラッシュ時の時間差を時間損失として社会的な損失額を計算してみる。

計算の仮定として
 損失時間:仮に1000万人が毎日30分の時間損失(朝、夕のラッシュ合計)をしていると考えると 1000万人×0.5h=500万時間/日
 時間単価:2,000円/h (便益評価で考えるとしては安め)

 1日の損失額は、500万h×0.2万=100億円/日
 一日100億円の時間損失が発生していることになる。
 年間では、週末を除いて250日として、250日×100億円=25000億円/年となる。
 さらに、30年の累計は、2.5兆円×30年=75兆円

社会的割引率4%として30年間の損失総額を現在価値に換算すると
損失総額(30年):75兆円×0.6(社会的割引率補正)= 45兆円 

 これは、あくまで仮説であり、前提条件や計算方法により結果はかなりの差が出てくるだろうが、いずれにしても社会的損失は数十兆円単位になると思われる。
 (少なめに仮定して計算している。:実際は線形改良による効果は、朝ピークだけでなく全時間帯におよぶが考慮していないなど)

 仮に45兆円の損失として、4兆円の投資で都市鉄道のラッシュ時の遅れが解消できれば費用対効果はB/c>10 ととんでもない値となってくるはずである。

 では、なぜ鉄道会社各社単独によるラッシュ時の遅れ時間解消のための大規模投資が行なわれにくいか考察すると(各社で努力、投資はしています。語弊のないように)

①ラッシュ時遅れ時間解消の投資<収益増 が明確でない
沿線住民には、代替的な交通手段がない場合が多いため、ラッシュ時の遅れ解消に比例して利用人数は必ずしも増えない。料金値上げも難しいので、投資をペイするのは難しい可能性がある。
 
②資金調達のコストと投資リスク
 投資は膨大な額および長期に渡るため、一企業ではリスクが大きすぎ、結果として資金調達コストが増大する。

③土地収用と合意形成の困難さ
 用地取得ができず一部区間が不通になるだけで、全体の投資が無駄になってしまう。
 民間企業ではこうした事業リスクを負担しきれない。

よって、一企業には負いきれないリスクに対して、公共投資のスキームが上手く組み合わされば、大きな社会的利益を生む可能性があると思う。
 新たな公共投資の枠組み pppスキームとも言える。


このpppスキームの課題を考察してみると

JR、私鉄など、民間企業の事業に公共投資することの公平性
税金を民間企業の事業に投下することに対して、他の競合路線や交通機関から不平・不満が間違いなく高まる。しかし、公平性の確保のため何もやらないのでは、社会的損失は解消しないだろう。
民間企業への税投下の枠組みには、法的な整備が必要である。具体的には、公益的私企業認定の制度、投資基準と収益配分基準の確定、事業投資の議会での決定と事業の公益宣言(議会による)といったものだ。

②投資のスキーム(リスク負担とコントロール)
 民間に負いきれない部分のリスクを公共が負担するのが目的である。また、投下したお金が正しく使われているかのモニタリングとコントロールが効く仕組みが必要になる。
 具体的には、SPC(特別目的会社)のような仕組みである。
 SPCに資本投資して、事業リスクを負担するとともに、株主として経営にコントロールを効かせる。また、劣後かつ低利子の長期貸付により、SPCへの貸付リスクを減少させて民間金融機関からの資金調達を円滑かつ、金利を下げる。これにより、レバレッジが増大して、税投下額の数倍の事業投資が実施可能になる。
 また、リスクを公共が負担する代わりに、事業により企業収益が増大した場合には、その収益を株主配当として国に還元する仕組みが必要である。

③事業リスクの回避
事業リスクとしては、用地確保と合意形成が一番困難になってくるはずである。
 よって、pppの事業化を議会での議決した後、公益宣言が出されて、公共事業と同じ土地収用のプロセスが行われるようにする必要がある。

 ※公益宣言は、フランスで行なわれている公共事業のプロセス、コンセッション呼ばれる半民間企業(ppp)による公共事業においても事業化開始とともに行なわれる。
 公益優先の原則から、公共事業同等の土地収用のプロセスが適用される。

最後に
公共投資は、当然、国の財政の長期的な投資能力に基づいて決められるべきだが、成長戦略を考える上で、予算の枠内で、費用対効果の高い事業に優先的に投資されるべきだと思う。こうしたスキームは国内のpppとしてあらたな可能性を秘めている。

2011年11月8日火曜日

日本社会とドロップアウト

 日本社会の損失は、一度、ドロップアウトしてしまうと、再起が難しい点だと思う。

 例えば、良い大学を出て、一流企業に就職したとしても、一度辞めてしまうと、就職先はあまりない。新卒切符は、一度きり有効だ。学歴も年齢とともに役に立たなくなる。

 また、能力と実績をつけて、他の会社に転職というケースもあるが、エンジニアや会計職など、汎用的で専門性のある職業ならよいだろうが、文系でも理系出身者でも、会社員のほとんどが、企業活動の中のさらにそのごく一部の商品や技術、職務に精通しているだけだ。

 他につぶしのきくようなキャリアが身につく仕事なんて、ごく一部だと思う。

 また、一度、ドロップアウトした人間は、色眼鏡で見られてしまう。
 どうせ、「前の会社で役に立たなかったから辞めたのだろう」とか「何らかの問題があるのでは?」、といった感じだ。

 起業や、新たな挑戦をするには、働き盛りの30代~40代が、一番良いと思うが、家庭も抱えて、それなりの収入もあるためドロップアウトのリスクは、まず冒せない。
 
 「本当に優秀な人は、そんな逆境を関係なく行動するから問題ない」という意見もあるだろう。

 もっともではあるが、社会活力という意味では異論がある。
 あくまで個人の意見だが、例えば「起業」という視点で考えると「起業して成功する数」は、以下の式になってくると予測する

 起業して成功する数=起業総数×経営の質×ビジネスモデルの優秀性

 能力が高い人が、ドロップアウトしにくい社会というのは、上の式で「起業総数」が減少し、また「経営の質」にも影響を与えるだろう。
 これらが、乗数的に作用して「起業して成功する数」全体が大きく減少してしまう。
 「起業して成功する数」が減少するということは、社会的機会損失が生じて、社会全体の活力が低下していることになる。

 また、多くの人間が、挑戦できなかった後悔を残しながら暮らしている社会というのは、全体の社会幸福度を下げているだろう。

 自分はすでにドロップアウト組、もう40歳だし、たぶん一般企業への就職は無理だろうな~。
 

30代ワーキングプアからの脱出事例

 現在社会の問題として、ワーキングプア―が最近注目されている。
 20代で正社員になれなかった人や、中途退社した人が、非正規雇用により、低収入の生活を強いられ、家庭も持てず、将来的に希望をもてない状況にある人がたくさんいる。

日本社会は、一度ドロップアウトすると、復活が難しい社会である。

 ここで、30代ワーキングプアからの脱出事例として、とても面白い事例があるので紹介したい。(私の友人の事例です、仮にk氏wとしましょう)
   ※この記事は本人の承諾を得ました。
 
 大学時代に哲学を専攻していたk氏は、就職する意味を見い出せず、卒業後、そのままフリーターになった。そして、20代、就職せずに、転々とバイトをしながら、気ままに遊びまくっていた。

 当然、なんのスキルも社会経験(サラリーマン経験という意味で)もなく、30代を迎えてしまったのだ。
 現代社会では、ここから、企業の正社員になって、普通の収入を稼ぐのは、かなり難しいだろう。

 k氏は、彼女と同棲しており、田舎の親も高齢になり、いよいよ将来を本気に考える必要がでてきた。
 そして、k氏が選んだ道は、鍼灸・マッサージ師になるということだったようだ。
��本人は、悩んでいてあるとき突然ひらめいた「神の啓示」だと、アホなことを言っているが)

 鍼灸、マッサージ師というのは、国家資格で、3~4年も学校に通わないと取得できない。
 k氏は、昼間は東京の鍼灸・マッサージの有名店で働き、夜は夜学に通うという生活を4年続けた。資格が無いので、店でやれることは限定されるだろうが、OJTとOFFJTの理想的な組み合わせだろう。
 今までのフリーター生活は嘘のように、朝から晩まで、「東洋医学」漬だったわけだ。

 そして4年後、無事、資格を取得し、今度は、地方のカリスマ治療院のもとで、住み込みで3年修行した。給与は25万以上貰えたということで、雇われ鍼灸師にしては条件は良い方だと思う。

 その後、一昨年より、実家の松本市で鍼灸・マッサージの治療院を開業している。
 元々、経営の知識はほとんどないため、開業後、県の支援センターの専門家として、私が経営指導している。
 そのお陰かどうかは別として、開業当初は月収10万程度で、アルバイトをしていたが、現在は、普通のサラリーマン以上の収入はある。

 が、個人事業というのは、年金、保険自分持ち、退職金もない、将来の年金も少ない(国民年金)、収入の保障もないことを考えると、収入という点では会社員+αがないと割に合わないから、収入的には成功したとはいえない。
 しかし、上司にぺこぺこしなくてよく、通勤もなく、家族に囲まれ、客に感謝されて・・・・・などなど、地に足がついた生活をしていることを考えると、ワーキングプア―からの脱出事例と言えると思う。

 将来的には、それなりに稼ぐことができる余地があるが、本人にその意思があまりなく、低収入な人、障害で寝たきりの人などへの施術を中心にやっていきたいとのことで、現在は、k氏のファイナンシャルプラン(子供の教育費や家の建替え)などを考慮したうえで、希望をかなえる経営支援をしている。

 ちなみに、鍼灸治療院経営は、独立し成功できる人はごくわずからしい。
その要因として

①k氏いわく「サラリーマンをしながら学校(夜学)に通うなど、覚悟が足りない、学校を卒業して、すぐに、独立できると思っている人が多い。また、将来の希望や適性も固まらない若者が、なんとなく手に職をつける気分できても続かない」ということだ。

 確かに学校に通うだけなら、教わったことはどんどん忘れるし、生きた技術も身につかない、昼間は治療院で働き、夜は夜学の人とは、卒業時に格段の差がつくだろう。
 k氏は、独立までに、学習+実務で7年間、2万時間近くに達している。以前に書いた「時間の戦略」から言っても、技術は相当なレベルだと思うし、事実リピータが多い。
��東洋医学は、あまり信じていなかったが、施術をやってもらったら、しつこい咳が治ったので、効果はあるようだ)

②補足として私の意見
 支援に当たって、競合などいろいろ調査したのだが、開業する人は経営の知識、特にマーケティングが弱点になっている。腕さえ良ければ、看板掲げて顧客がくると思っている人が多いと思う。
法的には、広告内容にもかなり厳しい規制があるが、その範囲でもやれることはあるが、あまりやっていない。

 (だからこの記事をみて、安易に鍼灸とか感違いしないようにお願いします)

終わりに
20代~30代前半は、さんざん遊んで、今また、仕事も家庭も充実している友人(k氏)をみると、労働と苦悩の20代だった自分としては、少々面白くない気もするので、飲んだ時には、いつもそのことでからかっているのだが、本人いわく、「20代のフリーター時代は精神的につらかった、鍼灸修行時代の方が、大変だが、はるかに楽しかった」らしい。

暴落はなぜ起きるのか

 あけましておめでとうございます。
 新年は、雑学ネタから行きます。

 正月の新聞に、経済物理学者へのインタビュー記事があったのだが、興味深いものだった。
そもそも「経済物理学」という分野なのだが、物理学的な観点から経済を分析する学問という説明だった。

 具体的には、人が集まり社会ができ、人により経済活動が行われるが、人は限定された情報から、個人の要求を満たすために意思決定をしているという前提、つまり、全体は多様な個の集合で出来ている前提がある。
 そして、個の活動や意思決定方法(そのバラツキや多様性も含めて)などミクロの仕組みが解明できれば、その集合体であるマクロの経済の動きも解明できるという仮説に成り立つ学問だ。

 株や債券の暴落のメカニズムであるが、価格が値上がりするほど、空売りなど値下がりによる逆張りで儲けようとする個人が必ず増えてくる。逆張りのパワーのポテンシャルが増大し、あるときのちょっとした衝撃で急激な崩壊が起こるという暴落の仕組みを、物理学的なアプローチから解明しようとしている。

 これによって、株介入など行う場合、逆張りのパワーを利用すれば、少ない額でも大きな影響を与えることができるなど、活用方法もあるようだ。
 株式のテクニカル分析にも根拠を与えたり、あるいは高度化する可能性があるかもしれない。

 しかし、ミクロ(個人)の意思決定の仕組みを理解するということは、人間そのものを理解することだ、そんなに簡単にはいかないだろう。
 これほど経済学やコンピューターによる解析技術が進んでも、サブプライムのような急激な崩壊が防げなかったことからも、実際に有効に活用できようになるには相当年数がかかりそうだ。

この中で特に、興味深い示唆は以下の3つだ。
①全体は個の集合で出来ている
②個(個人)は限定された情報から、個人の願望も含む多様な意思決定している
③価値の評価が上がれば、必ず評価の低下への期待も増えてくる


 これらは、あらゆる思考の前提として持っておくべきことだと思う。
経営にも、個人の活動にも役にたつ。
 最適な意思決定には、個人の多様性を認めて、また人間そのものの理解が重要であるといえる。
 (もっと人間修行しなければ、)

 下世話な教訓としては、最近の芸能人のゴシップをみても、不祥事で、みんな手のひらをかえしたように徹底的なバッシングを受けているが、このメカニズムは当てはまるかもしれない。急激な成功に比例して、失敗に期待する人も急激に増える。そして、少しのミスでも急激に反応して価値評価が暴落している。

 よって、多くの人は、短期的な大きな成功を望むが、得られる価値や効用の最大化を考えるなら、長期的な成功を目指す方がよいだろう。
 また、名実というが、実が伴っていないとどこかで破たんする。やはり王道としては、基礎的要因をしっかり強化していくことが重要であると痛感した。

 私も本来のライフワークである建設産業のベストプラクティスの解明を中心に、実の部分を着実に強化しなければ。

 ということで今年もよろしくお願いします。

東北関東大震災

 大震災発生時、自分は多摩の自宅にいました。
横揺れが始まり、30秒ほどたっても収まらず、揺れがますます大きくなって行くので、古いマンションの1階ということもあり、RC(鉄筋コンクリート)壁構造なので大丈夫だとは思うが、万が一を考えて、外に出た。

 ちょうど、嫁と子供達が外にいたので、私も合流して、安全な位置で地震が収まるのをまったのだが、盛土地盤の上ということもあり、立っていられないほどの揺れになった。
まるで、地面が餅のよう、5階建てのRCの建物が、プリンのようにしなって揺れていた。
 その後、5分ほど揺れたが、家屋の被害は無かったが、家の中は、棚のものが飛び出してぐちゃぐちゃになりました。
 近くの商業施設の立体駐車場が崩れて、人が亡くなられた。
 
 震源地が東北と聞いて、震源からこれほど離れていてこの揺れの大きさと長さは、ただ事ではないないとすぐにわかった。

 被災地の、あまりの悲惨さに言葉がない。
 特に子を持つ親として、家族を亡くされた方が本当に気の毒だ。

 今回の大震災は、日本人の冷静さ、不屈の精神を見たと同時に、政府側の対応の遅さ、機能不全が目立っている。
「~の方針がでた」、「~を検討している」とか、意思決定が遅すぎる。
 時を逸すれば、人命に多くの被害がでる緊急時は、多少の無駄が出ても、迅速に決定してほしい。

科学の限界と専門家

 福島原発事故、レベル7、何をいまさらという感じだが、チェルノブイリ級になった。
 チェルノブイリでは、広島原爆の400~500発分の放射性物質をバラまいたということだから、今回も相当量が出たんだろう。

 海外機関の放射性物質の拡散予測を見ると、気候が冬型だったこともあり、ほとんどが太平洋側に拡散している。
 陸側に風が吹いた期間はわずかだが、これだけの被害が出ているという事は、もし、水素爆発した後、数日陸側に風が吹いていたら、東北関東全域は、今とは比べ物にならないくらい悲惨な状況になっていただろう。

 今回の大震災や原発事故を見て、専門家のお墨付きがどれだけあてにならないか再認識を強めた。

 もともと現在の科学でわかっていることは、全体の中のわずかでしかない。
当然、天気予報の長期予報もほとんど当たらないし、大地震も予知できない。

 普通の公共事業の環境影響調査にしても、事業を進める側がお金を出して行うのだから、その結果に100%の客観性は期待できない。
 特に行政機関が100%市場をコントロールしているような業界は、その学会、専門家は行政の意向に反しては存在することは困難である。
土木業界や、原子力、発電業界などが当てはまると思う。
専門家のお墨付きがいいように使われているだろう。

 もともとすべての事業に、メリットとデメリットがあることは、当たり前である。
 自然環境影響評価でも、実際どれくらい影響が出るのか解るわけがないのだが、影響が少ない評価をだし、代替的な保護措置をとり、専門家のお墨付きをつけることで合意形成してきた。
 そして、後で損害がでても、「後でこういう事実がわかった」という感じで、ものが完成している既成事実をもって、金銭的な補償しながら事業を進めると言うのが行政内のテクニックであったといえるだろう。

 社会的利益が大きく、リスクが局所的な事業は、これでもよかったのかもしれないが、 原発のような、国丸ごとがリスクにさらされるような事象でも、同じ調子でやってしまっていたのが今回の事故か。

 1000年に一度の事象が想定外であるならば、全国に50か所原発があれば、何十年かに一度は、どこかで想定外の事態に見舞われる可能性があるということだ。
 震災以外にも、外部的にはテロとか攻撃、内部的には炉内の制御不能や破損などの想定外の事象はいくらでもあるだろう。

 原発の歴史40年で今回の大事故は、確率論的に言えば、ある程度起こるべくして起きたといえるかもしれない。

 原発の設計や計画に深く関わった技術者や、現場の人間は、多分、危険性には気づいていたと思う。
 ほとんどの原発がへき地にあるという事実からも、いつか起こる可能性は予感していたはずである。

 緊急的に原発の安全対策で必要なことは、保安院や委員会とは、全く別に、利害関係のない、検証チームを作って、立ち入り調査権限を与え、国内の原発を総点検すべきだろう。
 特に検証チームのトップは、部外者にしなければ意味がない
 チームは、海外の原子力専門家、リスク管理、防災、軍事・治安、反対派の学者なども入れる必要がある。

巨大独占企業の意思決定の考察2(なぜ廃炉決定が遅れたのか)

 今回の事故による放射性物質の拡散量は、現時点でチェルノブイリの10~20%程度ということだが、チェルノブイリが広島原爆400発分くらいの放射性物質を放出したとされるので、今回は、少なくとも原爆40発分くらいは放出したことになる。

 もし、事故発生時に、水素爆発が回避できれば、放射性物質は建屋内に留まり、影響ははるかに小規模なレベルで済んだだろう。
 要因は、海水注入(廃炉)の決断が遅れたことだが、なぜこの決断が遅れたのか、前回に引き続き、巨大独占組織の意思決定について考察してみたい。

 巨大独占企業の組織内部の論理で経営陣が決まることは、前回述べた。
 こうなると、世界のすべては、組織内で完結し、敵(ライバル)も味方も組織の中にいる状態になる。
 組織外部の意見は、組織内部に影響することで間接的にのみ影響を与えることができる。
 
 また、このような組織における個人の潜在的目標は、収入額や地位の絶対値ではなく、ライバルとの地位、収入、組織内部の信望などの相対的優位である。

 よって、組織内部のライバルとの相対関係が重要な関心であり、組織内部からの攻撃には弱く、外部からの攻撃には強い。
 なぜなら、外部からの攻撃は、企業全体への攻撃であり、個人の損失は分散し極小化される。また、外部からの個人攻撃には組織全体で守ろうとする強い力が働く。(組織を守る人が出世する組織の風土のため)
 また、独占企業は、損失を消費者へ上乗せすることもできる。

 一方、組織内部からの攻撃は、個人または、派閥に直接損失を与え、ライバルとの相対的優位が崩れるからである。

 長々と前提の述べたが、なぜ廃炉決定が遅れたのか、意思決定構造を考察してみる。

 まず、事故時に即廃路決定し、海水注入をした場合は、膨大な社会的被害は回避できるが、原子炉1基廃路すると数千億の損失、1~4号機の廃炉で一兆円を超える損失になるかもしれない。
 この損失は企業および組織の純損失である。そして、組織内部に「廃炉の判断が早すぎた、俺なら、廃炉しなくてもなんとかできた」という人が出てくる。
 このようにして意思決定者は、ライバルとの相対的優位が崩れることを危惧する。

 一方、海水注入しなくても、水素爆発も防げれば、大規模な事故も起こらず、発電所も再開できる。
 また、仮に大事故が起こっても、被害を負うのは組織外部であり、組織外部からの攻撃は、対企業への攻撃であり、経営陣個人の損失は極小化される。

 このことから、意思決定者個人が負う損失は、即廃路決定しないで、一か八かの復旧にかけた方が、少なくなる。
 よって、事前に事故時の廃炉決定基準でもない限り、こういう組織は、廃炉決定はできない。
 また、巨大組織特有の重厚な、何層もの階層組織であり、稟議が部署が上から上へと流れて誰も決断できない状況になっていったのだろう。

 事故後の東電発表の、人件費一律カット(ただし、職位による年収の逆転が起こらない範囲)には笑ってしまった。(経営陣、管理職、それ以外とカット率は分けているが)
 昔勤めていてつぶれた会社と同じ「伝家の宝刀 報酬一律カット」と発想が似ている。
 一律カットは、組織内部の相対的優位性に差がつかないので、最も好まれる手法だろう。
 収入的にも経営陣は、年収3000万が、1500万になってもそれほど困らないだろう。
 
 さらに、賠償金ねん出のために、公金投入や電気料金値上げの話が出てきたが、これをやったら、企業はリスクを負わず、国民に損失を負わせるだけになり、完全なモラルハザードだと思う。今後も体質は変わらないだろう。

 では、構造的な安全軽視体質を改めるにはどうしたらよいのだろうか?
 出資者や、消費者、周辺住民などの、外部のステークホルダーの意見を無視したら、出世できないか、企業が存続できない仕組みが必要である。
 簡単に言えば、経営陣と会社が外部リスクを共有しなければならない。

 一案としては、発電、送電、配電、売電、それぞれ分割することだ、さらに発電も水力、火力、原子力など発電事業ごとに分割民営化する。

 こうすれば、個別の企業の経営陣が個別事業のリスクを負う主体であり、正確にリスクを認識し、意思決定も早くなる。
 また、技術の発展にも寄与するだろう。

 消費者は、多少高くても、風力とか水力を購入したりと発電源を選べるようになる。(実際は、複数電源を組み合わせた、ポートフォリオの売電商品が必要になると思う。)
 こうすれば、消費者の意見や外部の利益に気をつけないと企業が存続できなくなる。
 また、自然発電の促進にもつながるだろう。

 もう一つの追加の意見として、事故時の補償として、原子力発電による売上の数%を引当金として積み立てるか、原子力税として国庫に納入する仕組みの導入だ。
 今回の事故補償は2兆円と言われているが、東電売上5兆の内、3割が原子力だとすると1兆5千万の売上がある。その内、数%を積み立てれば、30年で2兆位にはなる。
 安易に原子力発電はコストが低いという認識は、想定外の事故リスクを加味していない。
 被害者への確実な補償はもちろん、原子力発電事業の採算性分析に、想定外の事故リスクを加味させるためには、有効な仕組みだと思う。
 
 これまで、安定供給を名目に守られてきた日本の電力事業だが、そろそろ本気で議論した方がいいのではないだろうか。

原発の安全性を高めるには

 今回の事故を受けて、反原発の動きが高まっている。
 海外では、ドイツでは脱原発、フランスでは必要性は認めつつ再検討という流れのようだ。
 今回は、原発の安全性について考察してみたい。

 まず、今回の事故で、「原発事故が起こらないようにする」ことと同じくらい、「原発事故が起こってしまった場合に、被害を最小化する」ことが、重要であることがわかった。
 人間の思考の範囲では、すべてのリスクを想定できないし、希望的な観測も入り込む余地も大きいからだ。
今までのように、「絶対に事故は起こりません!キリッ」で、事故が起これば「想定外です」では、日本の原発はすべて廃止するしかないだろう。

 最初に気になる点が、今回の事故炉が、40年前に建設されたものである点だ、現代の最新炉との安全性の違いは、どの程度あるのだろうか。

 現代の最新炉は、部品点数も少なく、構造もシンプルで壊れにくく、また、事故が起こっても、電源や動力に頼らず、自重や人力などで、冷却装置などが勝手に作動する冗長性の高い構造(フィルセーフというのか?)であると聞いていたのだが、現代の最新炉だったら事故は防げていたのだろうか?

 原発廃止の是非など今後の電力政策を考える上で、原発の安全性を再検証する必要があると思う。
個人的には、現実問題として、他のエネルギーでまかなうには、まだまだ、技術的なブレークスルーが必要だと思う。
 
 自分は原発推進派ではないが、もし、事故発生後の対応強化により今回のような破滅的な事故が防ぎ、飛躍的に安全性を高める方法があるのなら、当面は仕方がないのかもしれない。

ここで、素人考えだが、想定外の事故が発生したあと、破滅的な被害を防ぐアイデアを考えてみると

①原子炉は地下・半地下に造る
原子炉をあらかじめ地下に作ってしまえば、どうしようも無いときは、水を投入すれば、原子炉は水没し水棺になる。また津波がくれば勝手に海水で水棺になる。
原子力空母や原潜が、最後の手段として、船底の栓を抜く(隔室になっているので沈没はしない)のと同じことを陸上でもやれる。
既存の原子炉は、建屋の回りにコンクリの壁を作ってその外側に盛土すれば、半地下構造にできる。

②真水のタンクを原子炉近くに設置
 海水投入=廃炉による損失があるため、意思決定が遅れる。真水のストックがあれば、注水をためらうこともなく、また、損失も回避できる。
断面が円で直径30m、深さ30mのタンク1個で2万t以上貯水できる。日本の建設技術なら朝飯前だ。
 原子炉より標高の高い位置に地下式にして複数個作っておく、事故時に最悪は自重でも注水できるようにしておく。

③使用済み燃料棒は地下に保管
原子炉の上に、使用済み燃料棒が保管してあったことに驚いたが、まるでストーブの上に燃料タンクがあるみたいで恐ろしい。取り扱いの際の手間や安全を考えてのことだろうが、事故の発生を全く考慮していなかったのが良くわかる。

④機動性
 今回は、津波からメルトダウン、水素爆発までに1日以上の間があったが、その間に機動性を発揮できていなかった。
 水素爆発で放射性物質が拡散したし、爆発で施設の配管、配線、機器が破損したために今の復旧もままならない状況になっていると思う。
そうなる前、 発電機や燃料タンクなど、各地方ごと安全な集積地を造っておいて、事故時に自衛隊の輸送ヘリで空輸する仕組みが予めあれば、数時間以内になんとかできたかもしれない

⑤サプライチェーン
 原発の管理体制が、本社、関連会社、下請け、孫請け、一人請け負い、あるいはメーカーといった形で極端に重層化している。
 危険と低単価を、下請けに押し付けるのはどこの産業も似たようなものだが、原発のようなハイリスクなものは、こうした体制ではだめだろう。まるで足軽、地侍、国人、旗本など、寄せ集めの封建時代の軍隊みたいで、意思決定も遅く、能力やモチベーションレベルに大きなばらつきがあり、安全性が確保できるとは思えない。
 多少コストが上がっても、もっと統合した仕組みが必要だろう。

最後に
 今回、冷却装置や除去装置プラントになぜこれほど時間がかかるのだろうか?
 汎用機を大量に並べて並列処理すれば、すぐ稼動できるとおもうのだが、例えば、業務用の浸透膜浄水機を100台並べて並列処理すれば1日で相当量処理できる。どこまで放射性物質を除去できるのかは不明だが、少なくともプラントが間に合わず、そのまま海に垂れ流しにするよりはよいと思うのだが。
��膜交換作業時の安全性の問題?)

 冷却装置でも、運搬可能な、オフィスビルで使うクーリングタワーや、冷温水器、または冷蔵船など配列処理して冷水を大量に作ることもできると思うのだが、不可能なのだろうか?

淘汰とカタストロフィ

 カタストロフィとは、急激な破壊、悲劇的な破壊という意味。

 多くの人は、発展や進化が連続的に全体的に起こっていると思っているが、生物の進化などを見ても、環境が変化したときに、ある特定の適応個体群が生まれ、その個体群は繁栄し、残りは大部分は消えてしまっているようなケースが多い。
 これが淘汰だが、急激に起こる場合をカタストロフィという。

 「変化への適応は一部の集団にのみ起こる」というのは、普遍的な事象だと思う。

 企業にしてみても、同じで過去の成功体験に縛られている多くの企業は、環境の変化に適応できない。
 
 現代のような、教育も受け情報も多い社会でも、変革の必要性はみな理解できるが、実際に行動はできない。
なぜなら、変革の結果、自分の今の権威、利権を失って、会社が続くより、今のままで会社がつぶれた方がよいと思っている人がかなりの比率で存在する。

 そして、本当につぶれてしまう。

 民間企業の場合は、業界の中である程度比率で倒産が起こることは、新陳代謝のようなもので、カタストロフィ(巨大かつ悲劇的な破壊)とは言えない。

 しかし、公的部門やその関連企業はそうではない。
 どこまでも、非効率が膨らんでいってどこかで弾けることになる。
 これがいわゆるカタストロフィで多分に悲劇的なことが起こるだろう。

 ギリシャの危機を見ても分かるが、原因:ギリシャの公的部門の非合理と、損失を負う主体(EU全体)が一致していない状況で、ギリシャは変革はできない。
 今回、ドイツなどが基金に資金を入れたとしても、問題を先送りにしたにすぎない。
通貨、経済を統合し、意思決定は各国バラバラな仕組みは、EUの構造的な欠陥だと思うが。

 日本の場合も似たようなもので、来年度予算100兆?とか
 東電を見ても、賠償能力を保持するために法的整理は無いような話が出てきてがっくりきている。
 結局、賠償金額確保のために電気料金値上げにより国民にリスクを押しつける形になり、また、変革も進まないだろう。地域独占が続くなら、スマートグリッドのような多様な需給の統合技術もほとんど意味がないとおもうのだが。

 現在の日本の状況では、スムーズな変革はもう不可能な状況に来ていると思う。
 これ以上、先送り続けるより、なるべく早めにデフォルトなり、はじけてしまった方がまだましだと思っているのは私だけだろうか。