カタストロフィとは、急激な破壊、悲劇的な破壊という意味。
多くの人は、発展や進化が連続的に全体的に起こっていると思っているが、生物の進化などを見ても、環境が変化したときに、ある特定の適応個体群が生まれ、その個体群は繁栄し、残りは大部分は消えてしまっているようなケースが多い。
これが淘汰だが、急激に起こる場合をカタストロフィという。
「変化への適応は一部の集団にのみ起こる」というのは、普遍的な事象だと思う。
企業にしてみても、同じで過去の成功体験に縛られている多くの企業は、環境の変化に適応できない。
現代のような、教育も受け情報も多い社会でも、変革の必要性はみな理解できるが、実際に行動はできない。
なぜなら、変革の結果、自分の今の権威、利権を失って、会社が続くより、今のままで会社がつぶれた方がよいと思っている人がかなりの比率で存在する。
そして、本当につぶれてしまう。
民間企業の場合は、業界の中である程度比率で倒産が起こることは、新陳代謝のようなもので、カタストロフィ(巨大かつ悲劇的な破壊)とは言えない。
しかし、公的部門やその関連企業はそうではない。
どこまでも、非効率が膨らんでいってどこかで弾けることになる。
これがいわゆるカタストロフィで多分に悲劇的なことが起こるだろう。
ギリシャの危機を見ても分かるが、原因:ギリシャの公的部門の非合理と、損失を負う主体(EU全体)が一致していない状況で、ギリシャは変革はできない。
今回、ドイツなどが基金に資金を入れたとしても、問題を先送りにしたにすぎない。
通貨、経済を統合し、意思決定は各国バラバラな仕組みは、EUの構造的な欠陥だと思うが。
日本の場合も似たようなもので、来年度予算100兆?とか
東電を見ても、賠償能力を保持するために法的整理は無いような話が出てきてがっくりきている。
結局、賠償金額確保のために電気料金値上げにより国民にリスクを押しつける形になり、また、変革も進まないだろう。地域独占が続くなら、スマートグリッドのような多様な需給の統合技術もほとんど意味がないとおもうのだが。
現在の日本の状況では、スムーズな変革はもう不可能な状況に来ていると思う。
これ以上、先送り続けるより、なるべく早めにデフォルトなり、はじけてしまった方がまだましだと思っているのは私だけだろうか。