2011年11月8日火曜日

科学の限界と専門家

 福島原発事故、レベル7、何をいまさらという感じだが、チェルノブイリ級になった。
 チェルノブイリでは、広島原爆の400~500発分の放射性物質をバラまいたということだから、今回も相当量が出たんだろう。

 海外機関の放射性物質の拡散予測を見ると、気候が冬型だったこともあり、ほとんどが太平洋側に拡散している。
 陸側に風が吹いた期間はわずかだが、これだけの被害が出ているという事は、もし、水素爆発した後、数日陸側に風が吹いていたら、東北関東全域は、今とは比べ物にならないくらい悲惨な状況になっていただろう。

 今回の大震災や原発事故を見て、専門家のお墨付きがどれだけあてにならないか再認識を強めた。

 もともと現在の科学でわかっていることは、全体の中のわずかでしかない。
当然、天気予報の長期予報もほとんど当たらないし、大地震も予知できない。

 普通の公共事業の環境影響調査にしても、事業を進める側がお金を出して行うのだから、その結果に100%の客観性は期待できない。
 特に行政機関が100%市場をコントロールしているような業界は、その学会、専門家は行政の意向に反しては存在することは困難である。
土木業界や、原子力、発電業界などが当てはまると思う。
専門家のお墨付きがいいように使われているだろう。

 もともとすべての事業に、メリットとデメリットがあることは、当たり前である。
 自然環境影響評価でも、実際どれくらい影響が出るのか解るわけがないのだが、影響が少ない評価をだし、代替的な保護措置をとり、専門家のお墨付きをつけることで合意形成してきた。
 そして、後で損害がでても、「後でこういう事実がわかった」という感じで、ものが完成している既成事実をもって、金銭的な補償しながら事業を進めると言うのが行政内のテクニックであったといえるだろう。

 社会的利益が大きく、リスクが局所的な事業は、これでもよかったのかもしれないが、 原発のような、国丸ごとがリスクにさらされるような事象でも、同じ調子でやってしまっていたのが今回の事故か。

 1000年に一度の事象が想定外であるならば、全国に50か所原発があれば、何十年かに一度は、どこかで想定外の事態に見舞われる可能性があるということだ。
 震災以外にも、外部的にはテロとか攻撃、内部的には炉内の制御不能や破損などの想定外の事象はいくらでもあるだろう。

 原発の歴史40年で今回の大事故は、確率論的に言えば、ある程度起こるべくして起きたといえるかもしれない。

 原発の設計や計画に深く関わった技術者や、現場の人間は、多分、危険性には気づいていたと思う。
 ほとんどの原発がへき地にあるという事実からも、いつか起こる可能性は予感していたはずである。

 緊急的に原発の安全対策で必要なことは、保安院や委員会とは、全く別に、利害関係のない、検証チームを作って、立ち入り調査権限を与え、国内の原発を総点検すべきだろう。
 特に検証チームのトップは、部外者にしなければ意味がない
 チームは、海外の原子力専門家、リスク管理、防災、軍事・治安、反対派の学者なども入れる必要がある。