2011年11月8日火曜日

滅私奉公は成り立つのか

 歴史のある企業の、中高年世代が集まると、かならず、如何に自分が会社に尽くしたか、自分が若い時に滅私奉公したかなど、延々と自慢合戦が始まるものだ。
そして、最近の若い者は、自分のことばかり考えている、考えが甘い、我慢が足りない、などの評価が多い。

 では、これら中高年の世代は「滅私奉公」を本当にしてきたのか? 若い世代は「わがまま」なのか? ここで検証してみたい。

 滅私奉公という言葉の定義として、「個人を犠牲にして、見返りを求めないで、組織へ貢献(奉公・仕事)する行為」とする。

検証の視点として、貢献の原理を整理する。
貢献というのは、貢献した結果より誘因(報酬)の方が大きく無いと機能しない、つまり

  貢献の条件:貢献による苦労<誘因(報酬)の期待値
 ここで誘因(報酬)というのは、給与や残業代などお金だけではなく、出世、地位、評価、名声、名誉、これらに伴う将来的な収入の増加など様々な期待だ。

つまり誘因を分解して

  貢献の条件:貢献による苦労<(短期的収入+地位+名声+長期的収入の増加+達成感)
となる。

 まず、中高年、団塊世代だが、かれらの入社以降、若手として「滅私奉公」したとされる時代は、毎年GDPは10%以上の成長をしていた時代だ。

 当然、波はあるだろうが、会社は右肩上がりで成長していただろう。
 つまり、売上が年々増え、組織も大きくなり、ポストも増えていく時代である。また、年功序列で落伍するリスクも小さかった。

 貢献の条件:貢献による苦労<(短期的収入+地位+名声+長期的収入の増加)

 の式に当てはめて考えると、当時の給与(短期的収入)そのものは、非常に安かったかもしれない。しかし、それ以外の誘因条件の期待値は大きかったのである。

 よって、当時の安月給や労働条件の悪さから、滅私奉公したつもりであったとしても、実際は、それ以上の、将来的な見返りを期待していたのであり、滅私奉公ではないことがわかる。(貢献の条件に当てはまる)

 次に現代の若者だ、現代は、ゼロ成長時代、多くの会社で売上も利益も増えず、上の世代が詰まっており、ポストは増えない時代だ。

 短期的収入以外の誘因条件はほとんど期待できない。よって、労働条件や短期的収入にこだわる若手が増えるのは、当然のことだ、文句が多いとか、我慢が足りないと、世代間の異質性が強調されることが多いが、実際は、社会条件の変化に合わせて、両者とも同じ行動原理「貢献の条件:貢献による苦労<誘因条件の期待値」で動いており、中身や考え方は実はあまり変わらないのである。 

 企業の活力を、本当に高めていこうと思ったら、小手先ではなく、こうした本質的な部分に着目して組織制度の設計をする必要があるだろう。