2011年11月8日火曜日

会社がつぶれるとき その2

会社が崩壊に至る要因を分析してみると

①人間は、安定した状態が長年続くと、リスクそのものに鈍感になる。40年も安定成長が続いた中堅会社なのでまさか自分の会社がつぶれるとは多くの人が信じない。
 そして、過去の成功体験の自負で、大きな市場環境の変化を認識できない。
 構造的な変革が必要なのに、経験主義、精神論に陥り、現実を直視できない状況に陥る。

②多くの人が自分の地位や既得権を失うくらいなら、会社がつぶれた方がよいと思っている。現実的な構造変革は断固拒否される。
例えば、コスト削減のための具体的な実行策は、かならず痛みを伴うものだ。人を切らずに、管理コスト削減をしようとすれば、多すぎる管理職を現場に復帰させるということだが、みんな断固拒否する。
 
 じり貧になっていく過程で、管理職や経営陣の中から、現実的な案は当然でてくる。しかし、みんな総論賛成だが、自分に影響が及ぶと各論で断固反対されまとまらない。
 (関連子会社であり、意思決定構造が分散しており、リーダーシップが発揮できない状況だった。オーナー会社ならまた違ったかもしれない。)

結局、管理職・社員への影響が均一的な対策しかできない。
例えば、人件費一律カットだ、残業ゼロ、ボーナス10万、基本給10%カットといった具合だ。「みんなで同じ痛みを分かち合いましょう」というような対策だ。
��一律に見えて、実際は、社員の方が影響が大きいのだが)

次に精神主義だ、非現実的な数値目標があり、具体的な対策が「がんばろう」など精神論しかない。
精神主義なら、実行の可否を検証できないし、だれも痛みは伴わない。
「みんなで力を合わせて~をがんばる」とか、耳ざわりのよい言葉を並べてそれで満足してしまう。精神論のみで、ひたすら会社への忠誠心をアピールする原理主義者みたいな人が幅を利かせるようになる。(退職希望者が「裏切り者!」と糾弾されたりする)

こうして現実的な対処が何もできない閉そく感と、精神主義のある意味異常な雰囲気の中で、破滅に向かっていくのであるが、多くの安定企業にお勤めの皆さんは、こうしたことが現実的に起こりうることをイメージとして理解していただけたでしょうか?

まるで、二次大戦時の日本のような、あるいは現代の日本の状況にも当てはまる気もしますが、当時も、今も、とてつもなく優秀な人たちがたくさんいたのに、そういう状況に陥っていってしまうのは不思議だ。
和というが、要は、互いの既得権を守るということだろう。そういう志向が集団になると、最適行動ができなくなってくる良い例だ。また、集団ヒステリーのように、先鋭化していくことも興味深い。

最後に
 私の退社数年後、会社の清算を知らされたとき、新卒から10年以上お世話になった会社だっただけに、何ともさびしい感じがしました。

退社間際の数年は、良い思い出がなく、精神的に消耗しました。ただ、ネガティブな体験が、自分の人生感にプラスの影響を与えたことは間違いないと思います。

 例えば、このときの私の提案がことごとく拒否された苦い経験から、経営やマネジメントの本格的な勉強を始めるきっかけになりました。
 また、会社の破たんのおかげで、(強制的に)新たな一歩を踏み出せたこともラッキーでした。もし、経営が順調なら、今でもあの会社でサラリーマンをしていたと思います。

※とりあえず、会社がつぶれるときの体験を個人的な主観から簡単にまとめてみました。
 実際には、他にも様々な事象や取り組みの失敗がありました。また、異論をもつ人もいるでしょう。今後、当時の関係者(会社上層部も含む)からの証言を集め、会社が破たんに至る過程や原因を検証していくつもりです。