リスク認知というのは、危険なこと生存に不利になる可能性を、リスクとして認知することだ。
リスク認知というのは、客観的判断でなく、主観的、直感的に行っているが、原始時代からの、生存のためにリスク認知の傾向があるようだ。
つまり、同じ大きさのリスクなのに、種類によって認知されるリスクの大きさが異なってくる。
人間特有のリスク認知の傾向を考察してみたい。
��以下、自論ですが、えげつない話もありますので注意)
リスク認知の法則①:生存リスク認知では、「襲われる」ことに最も恐怖を覚える
「今月はすでに全国の海の事故で15人が犠牲に~」
毎年、季節になると必ず流れるニュースだが、この情報をみて、海に行くのを止める人はあまりいないし、あまり脅威は感じない。しかし
「今月はすでに、全国で15人がサメの犠牲に~」
となれば、海に行く人はだいぶ減るだろう。
ここで、人は生存を脅かすリスク認知は、「襲われる」>>>「事故」となることが分かる。
「襲われる」の生存リスク認知でも動物の種類によって、自分の場合
「人間」「サメ」>>>「スズメバチ」 となる。多分個人差がある。
考察として、生存リスクに対して、人間は自分が餌食になることに最も恐怖を覚えるようだ。
多分、原始社会の(子供~繁殖年齢)の死因は、「戦争か猛獣」が主要因ということだろう。案外事故死は少ないのかもしれない。
あるいは、事故の方が防御策が取りやすいのかもしれない。
ここで、繁殖年齢以降(つまり老人)の死因は、病気などその他の原因が多いだろうが、老人特有の価値観は、遺伝的に反映されない(老人になってから子供はつくらない)ので、多分、人間のリスク認知の傾向には影響しない。
リスク認知の法則②:イメージできる方がリスク認知が大きい
普段飛行に乗っている人でも、大きな事故が起これば、飛行機に乗るのは怖くなる。
事故の前後でリスクの大きさは変わっていないはずだ。
リスク認知の法則③:集団の方がリスク認知が低くなる
例えば、恐怖感は「サメのいる海で一人で泳ぐ」>>>「1,000人で泳ぐ」だろう。
これは、実際に攻撃対象が分散するし、お互い危険を知らせあったり、助けたりできるので、リスクそのものが減る。
ただし、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の例からみるとおり、集団でもリスクの大きさが変わらない事象もあるのが厄介なところだ。
リスク認知の法則④:果実が大きいとリスク認知が小さくなる
人間は、無意識に行動の結果得られる果実(報酬)と、リスク(損失の可能性)を比較して実行を決めている。
理論的に判断するならば、「果実-リスク」か「果実/リスク」で判断すべきであろう。
しかし、あまりに果実が大きいと、リスク認知が小さくなるようだ。
例えばギャンブルだ、かけ率が大きいほどハマってしまう。投資話にはまるのも当てはまる。あまりにおいしい話にリスクが見えなくなってくるのだろう。
えげつない話ですみません。
以上に述べたように、同じ大きさのリスクでも、種類や状況によって、リスクの認知の程度が異なる。
このギャップが現代社会に及ぼす影響を考察してみたい。
その2、「なぜ歴史ある企業が崩壊するのか」につづきます。